江戸時代の終わり頃になると、農村にも商業活動の波が押し寄せ、庶民の間においても「読み 書き 算盤」への要求が高まってきました。こうした世俗教育の一端を担ったのが寺院や神社であり、「寺子屋」として近隣の子どもたちを受け入れ、急速に普及しました。やがて明治の世の中に入り、新政府は「必ず邑に不学の戸なく家に不学の人なからしめん事を期す」として、すべての国民は必ず学問をしなければならないという方針を打ち立てました。村々にある寺子屋は一斉に小学校へと組み替えられ、ここにわが国の近代教育制度が発足したのでした。その後、学校教育も戦争という大きな試練を受けながら発展し、今日に至っています。
この展覧会では、江戸・明治・大正・昭和の各時代において、主に知多半島で使用された教科書を中心に紹介し、それぞれの時代における子どもたちの学習内容を振り返ります。