家を出る朝は早かった
まっ暗いなかを母は庭さきまで見送ってくれた
別れの言葉はきこえても 母の姿は闇のなか
なにも見えなかった
愛媛県の山あいの農村に生まれた畦地梅太郎(1902-99)は16歳で故郷を離れました。さまざまな仕事についたのち、版画と出会ったのは24歳の時です。
都市の風景を描いていた畦地ですが、ふるさと愛媛の風景に自らの表現をみつけ、やがて「山」を自分のテーマに定めます。版画の小さな画面に、石鎚山や浅間山などの壮大な姿が描きだされます。風景版画で評価をえた畦地が、「山男」に取り組んだのは50歳代のことです。単純化された形とおさえた色調で描かれる山男は、畦地自身が山で感じたことを表現したものです。このテーマにより国際的にも知られるようになったのち、さらに60歳代には抽象的な表現も試みます。制作は80歳を越えても続けられ、まさに生涯にわたり信じるままに新しい表現を追求し続けたといえるでしょう。
畦地は多くの随筆を残しています。登山でのできごとや故郷の思い出を書いた文章は、素朴な語り口とユーモアで多くの人に愛されています。本展では、畦地の文章と制作ノートなどの資料を、版画作品とあわせてみていくことで創作の跡をたどります。
ある時、信仰について問われた畦地は、自分の信念は「俺は生きるんだ」ということだ、と答えています。96年におよぶその生涯は、21世紀とほぼ重なるものです。戦争、復興、経済成長…激動の時代の中を、畦地はとどまることなく歩み続けました。版画家として、人間として、畦地は正直に頑固に人生を生き抜きました。
晩年を町田市鶴川におくり、町田市の名誉市民でもある畦地の生誕100年を記念して開催される本展では、初期から晩年までの代表的な版画作品200点と、油彩・スケッチなどの関連資料を展示します。作品を通して、その長い生涯と創作を振り返り、畦地梅太郎という誠実な版画家の人間像を探ろうとするものです。
出品作品:《山のよろこび》 1957年
《火の山の家族》 1978年
《八幡浜劇場》 1946年
《浅間山》 1940年 など