「京都瓢池園」は、河原徳立氏によりはじめ東京において「瓢池園」として設立され、国内外の博覧会へ意欲的に出品を重ねました。しかし、明治33年(1900)のパリ万国博覧会において、河原徳立氏は日本の陶磁器デザインの立ち遅れを痛切に感じ、心機一転、日本の伝統的工芸産地である京都で、明治40年(1907)「京都瓢池園」として活動を始めます。その際、住友家初代総理事を勤めた廣瀬宰平氏の長男で実業家の廣瀬満正氏を共同経営者に迎え、新しい日本の陶磁器を作ることをめざしました。
「京都瓢池園」は、「ふくべ焼」の名で京焼のひとつとして流通し、京都の美術工芸界を担う人々と関わりながら制作されましたが、活動期間は非常に短く大正時代の中頃には閉窯となったようです。
本展覧会では、その活動や作品については近代陶磁史において断片的に語られるものの、その全容は未だつまびらかにされていない「京都瓢池園」の明治後期から大正初期の京都陶芸界での新たな試みを紹介いたしたいと思います。