平櫛田中は明治5(1872)年、岡山県後月郡(現在の井原市)の田中家に生まれ、のち平櫛家の養子となりました。13歳で故郷を出たこともあり、井原との縁は「ただ生まれたところ」にすぎなかったと後年述懐しています。井原市出身と言われるようになったのは、昭和20年代後半に郷里に住む友人の熱心な勧めにより、市内の小中高校に自作を贈って以来のことです。養子先への転居で井原を離れてから65年の歳月が経ち、田中の年齢も80歳となっていました。それからは、井原に足を運ぶ機会も多くなり、昭和33年には井原市名誉市民第1号に推挙され、昭和44年には97歳の田中を迎えて、当館が開館しました。井原市との「再会」後、昭和54(1979)年に107歳で逝去するまで《鏡獅子》の完成、文化勲章受章、東京国立近代美術館での在世する作家としては初めての個展、平櫛田中賞の創設と大きな出来事がいくつもありました。「六十七十は はなたれこぞう おとこざかりは百から百から わしもこれからこれから」この言葉に象徴される大器晩成の彫刻家・平櫛田中。その晩年は、井原との絆を深めていく過程でもありました。
開館40周年、没後30年という節目の年に改めて、平櫛田中と故郷(ふるさと)・井原との深い絆を再確認していただければ幸いです。