ドイツ系移民の子としてニューヨークに生まれたライオネル・ファイニンガー(1871-1956)は、音楽を学ぶためドイツに渡りますが、すぐに画家を志し美術を学び始めます。雑誌の挿絵や風刺漫画を描いた後、油彩を描き正統画家として評価を得ると、1919年に造形学校バウハウスの設立に参加し1932年まで教鞭をとりました。しかし、ナチスが政権を取ると「退廃芸術家」と見なされ、1937年ドイツを離れニューヨークに戻りました。
1910年頃のファイニンガーは、鮮やかな色彩を用い表現主義を思わせる作品を描いていましたが、キュビスムの影響を受けた後、1920年代には幾何学的に分割した面に色を段階的に重ねることで光を透過するガラスのような硬質さと透明性をもつ作風へと移行しました。教会の塔や海辺に停泊する船、海浜の廃墟などドイツ・ロマン主義の画家達が好んだモティーフを近代的な造形理論に基づき描いた作品は、伝統的な絵画と前衛美術をつなぐものとして独自の位置を占めています。
本展覧会では初期から晩年に至る油彩、水彩、版画、素描、木工作品(玩具)約130点を展示し、ファイニンガーを日本ではじめて本格的に紹介します。