作品には温度が必要である。だが大槻作品はどこか寂しげで茫漠とし、そこにはエネルギーに満ちた力強さや温かな印象は薄い。ぼんやりと見つめる視線の先で、景色は遠ざかり、自身の存在自体も曖昧になる。低体温になる。 人は物事に接する時、我が身に降りかかった物事として捉える場面と、第三者として捉える場面を併せ持つ。それは一つの出来事の中ですら状況の変化により変わるものである。ただどのような状況の変化が起きたにせよ、変わる事なくその場面を静かに見つめ続ける視点がある。それが傍観者= innocent bystanderとしての視点だ。大槻は自分自身の作品に対し制作者という立場を持つと同時に、傍観者という立場を持つ。その事により作品は、観る側に一抹の不安と物足りなさを感じさせる。この不安と物足りなさこそ彼女が描き続ける理由の一つなのではないか。今、作家として歩きはじめた彼女にとり、この不確定要素がどのような評価を下されるのか、観る側は彼女の持つ「傍観者」 の視点をどう傍観するのか、確かめる展覧会にしたい。