魚というのは私たちにとって身近な存在です。あまりにも身近に過ぎて、それについて深く考えることもないかもしれません。でも、大昔から現在までの永い歴史を通じて私たちの日常生活を彩ってきた魚たちには歴史の中で蓄積されてきた文化的な意味の厚みがあります。そして文化的な意味の歴史は当然、絵画・彫刻などの表現の歴史にも反映されるものです。
例えば鯉。江戸時代の円山応挙をはじめ多くの画家たちが鯉を描いています。水族館のなかった当時、生きて動いている魚を知りたければ、寺院や御殿の庭園にある池で遊泳する鯉を観察するのが最善の道でした。だから多くの画家たちが鯉の絵を無数に制作したのは当然ともいえますが、同時に、そもそも鯉という画題にはもっと「めでたい」意味があって、そのゆえんに好んで絵に描かれたという側面もあるのです。登龍門という言葉をご存知でしょう。中国の黄河の上流に龍門と呼ばれる急流があり、鯉がそこを登れば龍に変身するという伝説を表す言葉です。転じて、試験に合格して栄達する意味と化し、現在でも立身出世のための関門をいう言葉としてよく用いられています。昔の画家たちが鯉の絵を数多く制作したのは、立身出世して幸福になりたいという普遍的な祈りを託す画題として人々に愛されたからにほかなりません。